深海の底で息を

生きること死ぬこと

月の光

 

月の光が強い時は

夜中、部屋の中が照らされて明るくなる。

今日は外で冷たい風がびょうびょうふいていて、

空も冴え冴えしている。

 

その透き通った空に、

ぽっかりと月が浮かんでいる。

今日の月は眩しいくらいだ。

昨夜は、スーパームーンといって

68年ぶりに月が地球に接近していて

とても大きかったという。

今日の、サブスーパームーン

美しく室内を照らす。

 

「悲哀の仕事」

という言葉があるらしい。

私が高校に行けなくなった16の頃、

大好きだった担任の先生が教えてくれた。

 

人生を歩んでいると、しばしば

愛する対象を喪失してしまうことがある。

これは誰にも避けられぬ事実である。

 

死別、恋人との予期せぬ別れ、

その挫折やショックから、

悲しみの期間を経て、

やがて少しずつ自分を取り戻していく、

そういう過程の事だったように記憶している。

 

人は皆、この「悲哀の仕事」を経て

立ち直って行くらしい。

先生は、当時の私と同じ歳だった息子さんを

昔、亡くしたということだった。

先生自身苦しんだ過去があったために、

私に対しても心優しかったし、

無理に学校に来いとは言わなかった。

 

それから20年、苦しい度に

あの先生の言葉を思い出す。

 

そう、今私はおそらく

「悲哀の仕事」

真っ最中なのであろう。

人間として、至極当たり前のプロセスらしい。

 

大好きだった恋人が、

ある日突然、自分を裏切って離れていって、

気持ちや理解がついていかなかった。

恋人に対して、自分に幸せな時間を

たくさんくれた相手に対して、

「裏切り」と言い切ってしまうのは

間違っている気もするが、

 

「婚約者」だとあれほど親や親戚や周りに

吹聴していたのに

新しい職場であっさり心変わりして、

女が出来ていたのに私に沢山嘘を吐き、

籍を入れると言っていた私の誕生日の旅行を

当日の気分でドタキャンして、

そのまま簡単に自分を捨てた男に対して

やはり「裏切り」という言葉が適当な気がする。

 

最後はLINEひとつだったし、

新しい女で頭がいっぱいなのか、

私と会って話すことすらしなかった。

誠実さのかけらも責任感も何もなかった。

 

3年半も一緒にいたのに、

新しい相手が出来ると途端に態度が激変して

嘘も増えたし、いい加減になった。

 

とても好きだった相手だったし、

突然自分から離れていることに気がついても

なかなか受け入れられなかった。

 

それから3ヶ月半、

ひとつずつ私は「悲哀の仕事」を経て

落ち着きを取り戻し始めている。

倒れた日から、

なんとか立ち上がるために、

少しずつ前を向いていった。

 

「夏」「海」「花火」

「秋」「紅葉」「温泉」「旅行」

「冬」「クリスマス」「ディズニー」「お鍋」

「駅」「喫煙所」

沢山のキーワードが、

一々彼との楽しかった日々を思い出させて

私の胸を苦しめた。

 

しかし、「彼のいた風景」に

「彼のもういない風景」を上書きして

アップデートする度に、

静かに落ち着きを取り戻してきた。

もう、彼が煙草を吸い終わるのを

何度も待っていた「駅前の喫煙所」の横を

通り過ぎても、

胸を苦しめることも少なくなった。

こうしてひとつひとつ、

彼のいた風景を、思い出を

消去していく作業だ。

 

そしていつか、

どこかで暮らす彼の幸せを

そっと祈れるようになったら、

私の「悲哀の仕事」も完了だろう。

 

昨日まで、夜寝付けずに

毎日朝方5時まで、苦しい思いをした。

眠れないと、悪いことばかり考えてしまうので

大変に苦しい時間である。

 

何日も、部屋から出ずに

外の空気も吸わず、日光も浴びてなかった。

入眠障害について調べてみると、

不規則過ぎる生活によって

体内時計が狂ってしまっていて、

自律神経が乱れているらしい。

手足がとても冷えるのもそのせいかもしれない。

 

朝起きて、午前中の日の光を浴びて、

決まった時間にご飯を食べて、

身体の体内時計をリセットするのが

一番いいらしい。

軽い運動も効果的だ。

 

まずは出来ることから始める。

5時まで寝られなかった私だが

10時には眠くても起きて、

朝ごはんを食べて、

その後散歩に出かけた。

 

2時間弱の散歩だったが、

雨上がりの公園は紅葉していてとても美しく、

清々しい気分になった。

 

これでまた彼と毎シーズン見に行ってた

「紅葉」というキーワードに

自分の散歩が上書きされて、

少し苦しさが弱まった。

 

冬になったら、初詣やスノボの思い出も

新しいものにアップデートしていこう。

 

持っていても悲しいだけの、

彼との沢山の思い出。

心の奥深くにしまおう。

 

散歩の途中、馴染みの豆腐屋さんの前を歩く。

ざぱーじゃぶじゃぶという

水を流す音が、いつもする。

私は豆腐屋さんの水の音が大好きだ。

安心するような心持ちがする。

 

久しぶりの散歩は少し疲れた。

身体がとても鈍っている。

精神のことばかり考えて、

この間は肉体を疎かにしすぎた。

これから少しずつ動かそう。

 

その甲斐あってか、

10時半には布団に入った。

本当に久しぶりに、11時頃には寝付けたらしい。

いつ振りだろうか。

うまく寝付けるということが

こんなに嬉しいことだとは、

眠れない苦しさを経験するまで知らなかった。

 

試してみたことがうまくいくと、嬉しくなる。

その繰り返しで、少しずつ進んでいくしかない。

 

うつ病の人に聞きたい。

「苦しいですか?」

皆が「とても苦しい」と答えるだろう。

では「本気で抜け出したいと思っていますか?」

大切なのはこの部分だと思う。

 

「私はうつ病です」とあちこちに宣言するのは

確かに周りの理解が深まるだろうし、

サポートしてくれる可能性も広がる。

何より「怠けているのではないか」

と誤解されることが多い苦しい病気なので、

はっきりと病名を相手に伝えることは大切だ。

自分自身がうつ病だということに

いつまでも気付かない人もいるし、

認めたくない人もいるので

(私はそうだった)

闘う覚悟をするためにも

はっきりうつ病とまず自覚することは大切である。

 

しかし、どこかで恥ずかしい気持ち、

社会活動から外れて後ろめたい気持ち、

親を悲しませているという罪悪感、

これがなくては社会復帰は遅れるばかりで

結果的に自分を益々苦しめるだろう。

 

もちろん私の場合は

こういう気持ちが人一倍大きかったために

自分のうつをなかなか認めたくなくて、

うつを悪化させてしまった一面がある。

倒れるまで気付かなかった。

 

しかし、うつ病から立ち直るのは

それこそ壮絶な覚悟と行動が必要である。

黙って何もしなかったら、

うつ病は悪くなる一方だ。

うつは、行動力や判断力、意欲を著しく奪われるので、

そんな中で行動するのには

弱って体力のない鮭が川を逆流して昇っていくが如く、

大変な労力を要する。

 

健康な人に比べて、

当たり前のことが出来なくなっている。

そのため、歩みは大変遅い。

少しも進んでいないような気がして、

何度も何度も落ち込み、めげそうになる。

 

それでも、この苦し過ぎる毎日から

どうしても抜け出したい、

さもなくば死しか待っていない。

という強い気持ちで

少しずつやれることからやるしかない。

それしか突破口はない。

 

誰にも頼れない。

自分で闘うしかない。孤独な道だ。

少し浮上できたら、初めてそこで

誰かが手を差し伸べて、

引っ張り上げてくれるかもしれない。

それまでは、たったひとりの闘いである。

死にたくないなら、闘うしかない。

 

 

目が覚めたら、4時だった。

部屋の中を、月が静かに照らしていた。