深海の底で息を

生きること死ぬこと

発作

 

また夜中に発作が出た。

今は落ち着いている。

 

深呼吸するのが一番効果的な気がするが、

フラッシュバックのように

元彼と行った場所の景色がパッと頭に浮かんで

それを引き金にして、

また酷い発作になってしまう。

 

引きつけのような呼吸になるし、

涙はボロボロ止まらないし

嗚咽も酷い。苦しい。

そんな時間が果てしなく続く

地獄のような気持ちになる。

 

しかし、落ち着いてみると、コロッとして

「何があんなに辛かったのだろう?」

となる。

 

どう考えても、何か発作的な

自律神経の乱れのような気がする。

お薬で緩和できる類のものだろうか。

 

人はああいった波が来てる時に

自死を選んでしまうんだろうな、と思う。

例えるなら、死神に強く脚を掴まれ

引っ張られて、暗い闇の中へ

引き摺り込まれそうになる感覚だ。

 

少し後になれば、

「なんだったのだろう」程度のものだ。

或いは本当に死神に憑かれている時間なのかも。

 

兎にも角にも、一昨日、

元彼の家に、荷物を取りに行った。

別れてから、実に5ヶ月経ってしまった。

 

覚悟を決めてからは、

不思議と落ち着いていたし、

いつも通りの道を、

あの頃と同じように運転して、

あの頃と同じスーパーに寄って、

彼の好きな食べ物をあれこれ選んで、

喜んでくれるかなあなんて

彼を思い浮かべながら、レジに並んだ。

 

マンションに入る時も、鍵を開ける時も、

あの頃と何も変わっていなくて、

まだ彼と続いてるような錯覚を受けた。

 

ドアを開けたら、

彼の生活がそのままそこにあって、

今朝脱ぎっぱなしにした洋服が

無造作に積まれていた。

台所には、洗っていない今朝の食器。

 

家に入ったのは約半年振りだ。

だけど、そこは時間が止まったように

何もかもそのままの風景だった。

 

でも、前回来た時と違うのは、

私はもう、彼の彼女じゃないってことだ。

今の私は、荷物を取りに来ることだけを

許されている、ただの他人だった。

そして、ふたりで借りたはずのその部屋も、

もうすでに私のものではない。

 

私は、ふたりの輝ける未来のシンボルだった

その部屋に久々に入って、

その場で耐えきれず、悲しくて咽び泣いた。

ふたりは別れてしまった、5ヶ月も前に。

その現実が、とても悲しくなった。

 

私の歯ブラシは彼の歯ブラシの隣にあった。

私が来るから、元に戻したのかも知れない。

だけれど、部屋はほとんどそのままで、

ただ掃除は一度もされていない感じで

部屋中、埃だらけだった。

 

綺麗だった洗面所も汚れていたし、

彼があの後半年近くひとり住んでいることを

物語っていた。

 

私の布団は、半年前と何も変わらず

同じ場所に畳んであった。

私のパジャマも、同じ場所にあって

その形のまま、埃をかぶっていた。

半年間、動かした形跡がない。

 

新しい彼女を、てっきり連れて来ていると

思っていたのだが、

恐らく彼女の家の方に行っているのだろう。

職場から電車に何駅も乗らなければ

ここへは来れないし、

何しろ私のものがたくさん置いてある。

彼も都合が悪かったのだろう。

 

私にとっては、ありがたかった。

 

冷蔵庫は、ちゃんと食べているのか

心配なくらい、空っぽだった。

そこへ、彼の好きだった食べ物を

たくさん入れて置いた。

どれも懐かしかった。

蟹味噌、彼、本当好きだったなあ。

アボカドも大好物だった。

キムチとキュウリの浅漬け。

好きなビールや、缶チューハイも並べた。

 

ラーメンのストックの引き出しに、

彼が好きそうなラーメンを足して置いた。

お菓子も買い足して置いた。

 

付き合っている頃は、

いつもこうして、買ってきては

ストックしていたのだ。

だから彼が欲しいものもわかる。

その感じが懐かしかった。

 

私が置いていた食材で、

彼がもう食べなさそうなものは、

持って帰ることにした。

使わなそうな食器や、

私のキッチン道具も持って帰った。

 

化粧水やメイク落とし、洗顔など

私の使っていたものは全部持ち帰った。

 

とにかく掃除してなかったので

埃がすごくて、

いろんな場所を雑巾掛けした。

すべての部屋に掃除機をかけた。

喫煙コーナーも綺麗に拭いて、灰皿も洗って、

ためてあった食器もお鍋も全部洗って、

棚にそれぞれしまった。

 

ごちゃごちゃ物がいっぱいだった棚を片付けて、

台を拭いて、帽子やサングラス、

時計、煙草を綺麗に並べ直した。

 

台所の油も洗剤で拭いて、

排水溝やシンクも洗って、

ネットも新しいものに変えておいた。

 

洗濯機に入りきらないほどの

汚れ物があったので、

全部洗濯して、干した。

 

布団は、朝慌てて出たままの形だった。

掃除機で、髪やゴミや埃を吸い取って、

綺麗に敷き直した。

 

山のような畳んでない洋服を

すべて畳んで、積んで置いた。

 

トイレの掃除もした。

 

埃まみれのテレビ台を拭き、テレビを拭き、

ガラスのテーブルを片付けて、

そこに手紙を2通、置いた。

 

これで、私のできる最後のことは

すべてやった。完璧だ。

やりきったかな。

 

最後は、電気をひとつずつ消して、

部屋を出る時、深々とお辞儀をした。

ふたりの夢と未来が、

たくさん詰まっていた部屋。

 

ありがとう。

ごめんね。

 

私が引っ越してくる時のために、

彼がひとつ丸々空けてくれていた、

私のお部屋だけが、ガランとしていた。

部屋主が来るのを、

ずっと待っていた空っぽの部屋。

使われるのをずっと待っていた、

空っぽのクローゼット。

一度も使われないまま、

部屋主は去っていく。

 

ごめんね…。

 

いつまでもガランとしたこのお部屋を空けて、

私が来るのを

半年間も待っていた彼氏。

 

その間の、3ヶ月もの無職の期間。

彼が私との未来のために、転職し、

1ヶ月で失敗し、挫折して無職になった3ヶ月間。

 

私は自分の仕事に慣れるのに必死で、

ちっとも彼の相手をしていなかった。

彼を見ていなかった。

 

あれだけ大きいことを言って、

「稼いでやるから、待っとけ」って言いながら

あっさり転職一ヶ月でギブしてしまった彼を、

情けなく頼りなく思ったし、

私もイライラしていたのだ。

 

でも、そのすれ違いから、

何かふたりの間がズレてきてしまった。

そして、彼が新しい職場に就職した時も、

私はその隙間に気付かないままだった。

 

彼は、他の子を選んだ。

 

私を苦しめているのは、

きっとこの罪悪感と、後悔かも知れない。

 

鍵を閉めて、そのまま

サンタさんの

クリスマスカードと一緒に、

新聞受けに入れた。

 

これでもう、私がこのふたりの部屋に

入ることは二度とない。

 

さよなら。ふたりのお部屋。

あるはずだった、ふたりだけの生活。

ふたりだけの、未来。

結婚して、ずっと一緒のはずだった。

ごめんね。私が壊してしまった…。

 

結局、住むことのなかったマンションを

眺めながら、その場を去った。

いつも通りの慣れた道を、

いつも通り帰った。

 

 

決戦前夜。

 

明日、ついに荷物を取りに行く。

そして、全部運んだら

鍵を閉めて、

一緒に想い出も全部閉じ込めて。

ふたりが同棲するはずだった部屋に。

 

最後に、ポストに鍵を入れる。

 

それで、私たちはすべて終わる。

もう本当に何の関わりもなくなってしまうし、

私も先に進まなきゃならない。

 

手紙も書いた。

想いは全部、そこに伝えた。

もう後悔はないかな。

 

長かった。

あの悲しかった夏から。

もうクリスマスだ。

 

今年で、あの人にサヨナラする。

来年の私は、きっとまったく違う私だ。

弱気な自分と、サヨナラする。

 

今日までは、今日という前夜が

いつか来てしまうことに

とても怯えていた。

 

あの人は夢にも出てきて

私を苦しめた。

 

けれど、手紙を書き終わったら

なんだか心が静まっていて、

少し楽になっていた。

覚悟が決まるとは、こういう事なのかしら

 

明日、ちゃんと鍵を閉めよう。

 

 

LINEの良し悪し

 

今日はとてもショックなことがあった。

 

元彼ともう出来るだけ関わりたくないのに、

LINEのタイムラインに

新しいプロフィール写真が

表示されていた。

 

スノボに行っている写真だった。

胸を突き刺されたような思いがした。

 

今までの写真は、私が撮ったものだった。

同じように、2年前くらいに、

一緒にスノボに行った時に撮った。

その写真をついに変えられてしまった事も、

私との思い出を切り捨てられたような、

そんな悲しい気持ちがした。

 

当たり前なのに。

もう別れてから5ヶ月経っている。

いつまでも引きずっているのは私だけだ。

 

私と別れた後の彼の写真を見たのは初だし、

そんなものは見たくなかった。

もう彼は、私のまったく知らない彼だった。

3年半もずっと、私の彼氏だった人。

今はもう、私と何の関係もなくなった彼。

 

こっちがあれからずっと

苦しい思いをし続けているのに、

向こうはもうスノボに行く余裕まであるんだ。

 

スノボ。ここがポイントだった。

 

新しい彼女と何処へ行ってもいいけれど、

なんだか聖域を侵された気分で悲しくなった。

そう、スノボと私たちは特別な意味があるのだ。

 

毎年、彼のお誕生日から

スノボ旅行のシーズンをスタートさせた。

数える程しかスノボに行ってなかった彼が、

また再びスノボに行くようになったのは、

スノボ大好きな私の影響だ。

 

ふたりの冬のデートは専らスノボだった。

一昨年、ついに彼は自分もボードが欲しいと言って、

一緒に買いに行って、

一式を見繕った。

 

彼は、どのボードがいいか

どのウェアがいいか、

どのブーツがいいか一々、私に聞いた。

そうやってふたりで選んだのである。

 

グローブは、安いもので水漏れして

手が冷たそうで可哀想だったので、

私がクリスマスにプレゼントしたものだ。

 

その見慣れたスノボの格好をして、

格好つけている、知らない彼の姿。

もう違う誰かにとっての、彼氏。

 

こんなに早く今シーズンもうスノボ行ってるんだ。

ショックだった。

 

私は、彼と別れてから、

スノボ、これから誰と行けばいいのだろう?

きっと誰と行っても思い出しちゃって、

楽しくないだろうな。辛いな…。って

思っていたのに。

 

車で行ってるらしいので、

彼女とふたりきりではなさそう。

たぶん弟カップルと一緒に行ったのだろう。

ということはもう弟に紹介するくらいなんだ。

相手の歳もみんなと近いのかもな…と

いろいろわかってしまうので、辛い。

私の時とは全然違う。

 

勝手にいろいろ想像して

勝手にすごく傷ついてしまった。

何より、何事もなかったように

新しい恋人との新しい毎日を楽しんでいる、

そんな彼を憎らしくさえ思った。

 

彼にどんなに恨みを持ったところで

無意味そのものなので、

私が出来る復習は

彼より、ずっとずっと幸せになることだ。

「あの時、別れてよかった」

そう心から思える未来だ。

 

そうして彼のことなんて

いつかどうでもよくなることだ。

 

気付いたが、このままでは

プロフィール画像だけでうっかりそのうち

見たくない彼女との写真や結婚式や

子供の写真まで見る羽目になるかも。

 

もう二度とこんな思いはしたくないので、

年末でLINEのアカウントを変えようかと

そう思っている。

 

本当に必要な少しの友人のアカウントだけで

あとはもういらないかな。

 

そんなこと、したことないくらい

全部取っておく性格だけど、

もう来年に嫌なことを、少しも持ち込みたくない。

今年のうちにいろいろ終わらせたい。

 

そしてすっきり新年を迎えたい。

心だけでも…。

こんな思いもう懲り懲りだ。

自分が惨めで消えたくなる。

 

あんな薄情で無責任で卑怯な男のせいで。

馬鹿らしい。

あんな男に何の価値があるっていうの?

早く忘れてしまいたい。

 

そんな苦々しい思いでお風呂にひとり、

浸かっていたら

憎らしい感情と裏腹に、

確かに幸せだった頃の事や、

優しかった彼の事を思い出して、

勝手に泣けてきた。

 

熱い涙がボロボロ溢れて

お湯と涙とどっちかわからない。

 

憎らしいけど、

やっぱり悲しいんだ。

ただただ、悲しかったんだな。

捨てられたことが。

 

心が悲鳴をあげているんだ。

 

 

月の光

 

月の光が強い時は

夜中、部屋の中が照らされて明るくなる。

今日は外で冷たい風がびょうびょうふいていて、

空も冴え冴えしている。

 

その透き通った空に、

ぽっかりと月が浮かんでいる。

今日の月は眩しいくらいだ。

昨夜は、スーパームーンといって

68年ぶりに月が地球に接近していて

とても大きかったという。

今日の、サブスーパームーン

美しく室内を照らす。

 

「悲哀の仕事」

という言葉があるらしい。

私が高校に行けなくなった16の頃、

大好きだった担任の先生が教えてくれた。

 

人生を歩んでいると、しばしば

愛する対象を喪失してしまうことがある。

これは誰にも避けられぬ事実である。

 

死別、恋人との予期せぬ別れ、

その挫折やショックから、

悲しみの期間を経て、

やがて少しずつ自分を取り戻していく、

そういう過程の事だったように記憶している。

 

人は皆、この「悲哀の仕事」を経て

立ち直って行くらしい。

先生は、当時の私と同じ歳だった息子さんを

昔、亡くしたということだった。

先生自身苦しんだ過去があったために、

私に対しても心優しかったし、

無理に学校に来いとは言わなかった。

 

それから20年、苦しい度に

あの先生の言葉を思い出す。

 

そう、今私はおそらく

「悲哀の仕事」

真っ最中なのであろう。

人間として、至極当たり前のプロセスらしい。

 

大好きだった恋人が、

ある日突然、自分を裏切って離れていって、

気持ちや理解がついていかなかった。

恋人に対して、自分に幸せな時間を

たくさんくれた相手に対して、

「裏切り」と言い切ってしまうのは

間違っている気もするが、

 

「婚約者」だとあれほど親や親戚や周りに

吹聴していたのに

新しい職場であっさり心変わりして、

女が出来ていたのに私に沢山嘘を吐き、

籍を入れると言っていた私の誕生日の旅行を

当日の気分でドタキャンして、

そのまま簡単に自分を捨てた男に対して

やはり「裏切り」という言葉が適当な気がする。

 

最後はLINEひとつだったし、

新しい女で頭がいっぱいなのか、

私と会って話すことすらしなかった。

誠実さのかけらも責任感も何もなかった。

 

3年半も一緒にいたのに、

新しい相手が出来ると途端に態度が激変して

嘘も増えたし、いい加減になった。

 

とても好きだった相手だったし、

突然自分から離れていることに気がついても

なかなか受け入れられなかった。

 

それから3ヶ月半、

ひとつずつ私は「悲哀の仕事」を経て

落ち着きを取り戻し始めている。

倒れた日から、

なんとか立ち上がるために、

少しずつ前を向いていった。

 

「夏」「海」「花火」

「秋」「紅葉」「温泉」「旅行」

「冬」「クリスマス」「ディズニー」「お鍋」

「駅」「喫煙所」

沢山のキーワードが、

一々彼との楽しかった日々を思い出させて

私の胸を苦しめた。

 

しかし、「彼のいた風景」に

「彼のもういない風景」を上書きして

アップデートする度に、

静かに落ち着きを取り戻してきた。

もう、彼が煙草を吸い終わるのを

何度も待っていた「駅前の喫煙所」の横を

通り過ぎても、

胸を苦しめることも少なくなった。

こうしてひとつひとつ、

彼のいた風景を、思い出を

消去していく作業だ。

 

そしていつか、

どこかで暮らす彼の幸せを

そっと祈れるようになったら、

私の「悲哀の仕事」も完了だろう。

 

昨日まで、夜寝付けずに

毎日朝方5時まで、苦しい思いをした。

眠れないと、悪いことばかり考えてしまうので

大変に苦しい時間である。

 

何日も、部屋から出ずに

外の空気も吸わず、日光も浴びてなかった。

入眠障害について調べてみると、

不規則過ぎる生活によって

体内時計が狂ってしまっていて、

自律神経が乱れているらしい。

手足がとても冷えるのもそのせいかもしれない。

 

朝起きて、午前中の日の光を浴びて、

決まった時間にご飯を食べて、

身体の体内時計をリセットするのが

一番いいらしい。

軽い運動も効果的だ。

 

まずは出来ることから始める。

5時まで寝られなかった私だが

10時には眠くても起きて、

朝ごはんを食べて、

その後散歩に出かけた。

 

2時間弱の散歩だったが、

雨上がりの公園は紅葉していてとても美しく、

清々しい気分になった。

 

これでまた彼と毎シーズン見に行ってた

「紅葉」というキーワードに

自分の散歩が上書きされて、

少し苦しさが弱まった。

 

冬になったら、初詣やスノボの思い出も

新しいものにアップデートしていこう。

 

持っていても悲しいだけの、

彼との沢山の思い出。

心の奥深くにしまおう。

 

散歩の途中、馴染みの豆腐屋さんの前を歩く。

ざぱーじゃぶじゃぶという

水を流す音が、いつもする。

私は豆腐屋さんの水の音が大好きだ。

安心するような心持ちがする。

 

久しぶりの散歩は少し疲れた。

身体がとても鈍っている。

精神のことばかり考えて、

この間は肉体を疎かにしすぎた。

これから少しずつ動かそう。

 

その甲斐あってか、

10時半には布団に入った。

本当に久しぶりに、11時頃には寝付けたらしい。

いつ振りだろうか。

うまく寝付けるということが

こんなに嬉しいことだとは、

眠れない苦しさを経験するまで知らなかった。

 

試してみたことがうまくいくと、嬉しくなる。

その繰り返しで、少しずつ進んでいくしかない。

 

うつ病の人に聞きたい。

「苦しいですか?」

皆が「とても苦しい」と答えるだろう。

では「本気で抜け出したいと思っていますか?」

大切なのはこの部分だと思う。

 

「私はうつ病です」とあちこちに宣言するのは

確かに周りの理解が深まるだろうし、

サポートしてくれる可能性も広がる。

何より「怠けているのではないか」

と誤解されることが多い苦しい病気なので、

はっきりと病名を相手に伝えることは大切だ。

自分自身がうつ病だということに

いつまでも気付かない人もいるし、

認めたくない人もいるので

(私はそうだった)

闘う覚悟をするためにも

はっきりうつ病とまず自覚することは大切である。

 

しかし、どこかで恥ずかしい気持ち、

社会活動から外れて後ろめたい気持ち、

親を悲しませているという罪悪感、

これがなくては社会復帰は遅れるばかりで

結果的に自分を益々苦しめるだろう。

 

もちろん私の場合は

こういう気持ちが人一倍大きかったために

自分のうつをなかなか認めたくなくて、

うつを悪化させてしまった一面がある。

倒れるまで気付かなかった。

 

しかし、うつ病から立ち直るのは

それこそ壮絶な覚悟と行動が必要である。

黙って何もしなかったら、

うつ病は悪くなる一方だ。

うつは、行動力や判断力、意欲を著しく奪われるので、

そんな中で行動するのには

弱って体力のない鮭が川を逆流して昇っていくが如く、

大変な労力を要する。

 

健康な人に比べて、

当たり前のことが出来なくなっている。

そのため、歩みは大変遅い。

少しも進んでいないような気がして、

何度も何度も落ち込み、めげそうになる。

 

それでも、この苦し過ぎる毎日から

どうしても抜け出したい、

さもなくば死しか待っていない。

という強い気持ちで

少しずつやれることからやるしかない。

それしか突破口はない。

 

誰にも頼れない。

自分で闘うしかない。孤独な道だ。

少し浮上できたら、初めてそこで

誰かが手を差し伸べて、

引っ張り上げてくれるかもしれない。

それまでは、たったひとりの闘いである。

死にたくないなら、闘うしかない。

 

 

目が覚めたら、4時だった。

部屋の中を、月が静かに照らしていた。

 

 

よかったこと、わるかったこと

 

【今日悲しかったこと】


元彼から久々にLINEが来た。

お金のことだけLINEが来る。

 

こっちはLINEもしたくないくらい深く傷ついて

ボロボロになってしまってるのに、

振った向こうは案外平気なんだろなあって

忌々しく思う。

 

「久しぶり。元気?」

って書いてあったが元気なワケないし。

白々しい。あんたの裏切りのせいで

こっちは精神ボロボロですわ。

 

かといって

「あんたのせいで、全然元気じゃないわ」

なんて恨み節言う女になりたくないし。

「うん、全然元気!!何か?」

くらい強がる方がいいのかなー

 

どこまで本当のこと言うべきか悩むよね

自分を捨てた男に対して。

 

荷物を取りに行った時、

どんな顔すればいいのだろう。

新しい女と楽しく過ごしてる、

自分を捨てた男の前で。

 

もう私のものじゃなくなってしまった、

違う誰かのものになってしまった、

でもあの頃と同じ部屋で過ごしている

いつもと変わらないような、彼の前で。

なんて残酷な風景だろう。

 

二人で住むはずだった

夢しかなかった筈の部屋で、

私の歯ブラシだけが

とっくに捨てられてなくなっていて、

私の化粧水乳液メイク落としが

どこかへひとまとめに隠されていて、

私がいた形跡なんて

まるでなかったように消されているのを

自分で見なきゃいけないなんてさ

 

ぜーんぜん平気な顔ができたら、

あとで自分自身に「がんばったね」って

褒めてあげたい。

これ以上、自分を惨めにしたくない。

 

くだらない、自分をゴミのように捨てた男に

泣いたり縋ったりしたくないし、

執着あることすら悟られたくもない。

 

なんで住んでもいない部屋の家賃、

払い続けてるんだろ私。

私を捨てたのは向こうなのに。

 

捨てた女にいつまでも家賃を半分負担させて

なんとも思わない、

そのレベルの男だったのだ。

それだけのこと。

 

【今日嬉しかったこと】


ダンボール8箱の仕分けが漸く終わった。

とても億劫だったけど逃げなかった。

結果、少し進んだ。

明日は違う場所にとりかかる。

あと4箱。ゴール見えてきたかな?

 

倒れた日から2ヶ月。

ゆっくりだったけど、確実に前に進めた。

夏真っ盛りだったあの日から、

いつの間にか木枯らし1号が吹いて

とても寒い冬が来ている。

季節の移ろいが早い。

 

焦らず、焦らず。

応援団もいてくれている。

特に、遠くに住む祖母と叔母は

たくさん励ましてくれる。

 

取れないと思っていた床の汚れ、

というか思いっきりこびりついてしまった

美術用のフィキサチーフ。

頑張ったら、とても綺麗にとれた。

すっきり。やってよかった。

 

ずっと気になって1年くらい放置していた

ブラウスのボタン部分、リメイクできた。

これでまた着られる。

 

アクセサリーを選別して、だいぶ処分。

ずいぶんお世話になったアクセサリー箱も、処分。

 

気になってるけれど

後回しにしてしまっていることを

ひとつずつ解決していくと、

やがて進んでいることに気付く。

これは忘れないようにしよう。

 

そして今日一番嬉しかったことの発表。

 

カセットテープの選別を

コツコツしていたら、

昔、妹と録音した音声テープが出てきた。

ラジオごっこ。

幼い妹や、私の歌声。

 

私のピアノも入ってた。

シューベルト、セレナーデ。

こんなに真剣に弾いていたんだな、

と意外に思った。

 

大好きだった歌のカラオケも。

私はそのバンドが大好きで、

本気で音楽の道を目指そうと思ったし、

自分には音楽しかないと

20歳過ぎるくらいまで

ずいぶん長いこと思っていた。

 

14歳の歌声を聴いていたら、

この頃は未来が無限にあって、

このまま本当にバンドのボーカルにだって

なれていたんだなあ。

売れる売れないは別として。

それなのに…

 

その後の私は、その希望を引き継がないで

全部、未来を無駄にしてしまったんだなあ

そして、こんな歳にもなって

いまだにくだらない恋愛事でメソメソしている。

 

14歳の自分にとても申し訳なく思った。

明るくて、未来溢れる声。

何も知らず、輝いていた頃。

小さなことで、一喜一憂していた頃。

ドキドキした頃。

誰にでも、そういう時代がある。

 

自分に胸を張れる毎日を

送れているだろうか?

今の私には、足りないものがたくさんある。

 

 

発作

 

ここ一月くらい暫く調子がよかったのだが、

今日は久々にまた夜中、発作が起きた。

静かに寝ようとしたのに。

 

発作というのは、

寝る前、ベッドで暗闇の中、横になっていると

何故だが悪いことや

嫌な気持ちになることばかり考えてしまい、

不安で頭がいっぱいになり

どんどん酷くなりついにパニックを起こして、

涙がボロボロこぼれ、

号泣、嗚咽、呼吸が荒くなり、

ついに過呼吸になってしまうことである。

 

なんとか気持ちを落ち着かせようと

アロマオイルに手を伸ばして

涙を拭いたティッシュに染み込ませたが、

泣きすぎで鼻が完全につまっていた。

少しも香りがしない。

 

発作の直前は胸が苦しくなり、

頭が締め付けられるように痛くなり、

完全に自分の感情をコントロールできなくなる。

 

何か脳の分泌物質に

明らかに異常が起きているのがわかる。

なのでやはり薬に頼るしかないのかも知れない。

 

一瞬で絶望的な気分に堕ちてしまうし、

「もう何もかもが終わりだ」

「こんなに苦しいのなら死んだ方がマシだ」

「死にたい、楽になりたい」

「みじめだ、今消えてしまいたい」

そんな気分でいっぱいになる。

 

まるで死神に取り憑かれたようになる。

とても苦しい。

 

人が自死の決断をしてしまう時は

ほとんどこの突発的な

発作によるものなのではないか。

そんな気さえしてくる。

 

発作というだけあって、

あとで発作がおさまると

「いったいあれはなんだったのだろう?」

という具合に落ち着く。

そんな気持ちも忘れてしまう。

 

泣きたい時は我慢しないで

泣けばいいとは思うが、

悪い感情をどんどんと誘発することもあるので

一長一短だと思う。

 

私の一番の弱点は、

周りに相談できる人がいない所だろう。

家族にも、心配をできる限りかけたくないので

平気な振りをしてしまう。

いつも通りのことをやらなくてはと

家事も頑張ってしまう。

 

そういう無理の積み重ねが

そもそもこの病気の根源だというのに。

 

一番悪化していた時は、

そのいつもの家事すら億劫で仕方なかった。

身体が重苦しく、だるく、

洗う食器もとても重く感じた。

 

朝起きて、朝食を作って食べる事すら、

本当に辛かった。

やり慣れているはずの

ルーティンワークがとても苦痛だった。

 

お風呂にも本当に入る元気がなかった。

髪を洗うことも、身体を洗うことも

髪を乾かすこともすべてが億劫だった。

不潔になっても、どうでもよかったし

着るものにも執着がないので

ボロボロのものを平気で着ていた。

 

今考えると、異常だったなぁと思う。

 

近頃は、夜眠いことも増えてきたし

前のように朝の9時まで頭が冴えてしまい

まったく眠れない、なんてことも少なくなった。

暗いうちになんとか眠りにつける。

 

お風呂も、ちゃんと毎日入れている。

家事も一時期ほど苦痛じゃなくなった。

少しずつだが、よくなってきている。

 

今日はまた発作を起こしてしまったが、

今は落ち着いている。

このまま眠れたらよい。

 

自分でなんとか自分と向き合い、

コントロールするしかない。

 

 

断捨利ズム

 

断捨離を始めて二週間が過ぎた。

 

思えば部屋で倒れたあの日が、

私の精神状態の悪さのピークだった気がする。

別れてからの8月丸々、一ヶ月の記憶がない。

そして、8月30日ついに過呼吸で倒れた。

「助けて。」

誰に対してかわからんが、そう思った。

そして、自分で自分を助けることにした。

 

あれからさらに半月後の9月半ば、

ようやく少しだけ精神が安定してきた。

調子がよい時に、少しずつ

何かを始めることにした。

 

難しかったのは、同居している家族の

理解を得ることだった。

倒れた直後は、とても心配していて

毎日、明け方にこっそりと

私の寝室を覗きにきていた。

私は心が痛んだ。

自分の娘が何か夜中にひとり

間違いでも起こさないか、

心配していたのだなあと思う。

無理もない。

 

そんなことまで親に心配をかけてしまう自分が

本当に情けなくなった。

 

そもそも私は失恋により、

鬱状態になったのではなく

それが引金になってしまって

かねてから抑圧していた鬱が

再び呼び覚まされてしまった形だった。

 

しかし、鬱からの早期脱却に焦るばかり、

失恋に至る原因になってしまったとも言える、

部屋の片付けを最優先させるべく、

片付けなど到底出来ない精神状態のまま、

無理に片付けに取り掛かってしまったのだ。

 

強いストレスを抱えたまま、

片付けられるほどの判断力も戻らぬまま、

近くの段ボールからとりあえず、

どうにかしなくてはと動かした。

 

動かなくては、このまま永遠に

何も変わらないのだ。

頑張れ、頑張れ…私。

無理矢理、自分を鼓舞した。

 

今振り返って考えると、

あんな精神状態で片付けなど出来るはずもない。

片付けは、咄嗟の「いる、いらない」の判断力、

そして捨てる決断力も必要な

案外、頭を使う作業なのだ。

 

精神を病んでいる人は、

判断力、決断力そのどちらも

著しく低下した状態であるから、

片付けに最も不向きな状態だと言える。

 

そもそも、その精神状態が

荒れきった部屋を作り出した元凶なのだ。

 

途端、積み上がっていた段ボールが

音を立てて崩れていった。

本がドドドドと雪崩を起こした。

 

仕方なく、ベッドに腰をおろして、

その散らかり放題の部屋をぼんやり眺め、

黙って、完全に途方にくれた。

 

突然、堰を切ったように

胸の奥から苦しさがこみ上げてきて、

そのまま涙がボロボロこぼれはじめた。

自分は駄目な人間だ。

自分には何ひとつない。

いい歳してまだ親に迷惑ばかりかけて、

こんなゴミの掃き溜めのような、

小さな世界のままの部屋にいるのに

いつまでたっても

何ひとつ変えることができない。

 

これじゃ高校の途中で不登校になって

周りをすべて断絶して、

家に引きこもったあの頃と

なにひとつ変わっていない。

 

20年も経ったのにまだ、実家すら出られず

巣からいつまで経っても飛び立てないで 、

親にずっと親としての心配や苦労をかけたまま。

 

結婚もできず。孫の顔も見せてやれず。

胸を張れるような定職もない。

いい歳して貯金すらない。

 

自分は本当に駄目だ。惨めだ。

どうしてしっかり生きられないのだろう?

悲しい。私はゴミのように捨てられたのだ。

無価値な人間なのだ。

そしてこの明らかに酷い有様の

散らかりきった小さな部屋から、

一歩も抜け出すことができないのだ!

 

もう、こんなに歳をとってしまった!

取り返しのつかないくらい!

何ひとつ手にしないまま!

私には何の価値もない!!

 

あんなに一緒に過ごしたはずの

彼氏にとっても私は結局、

すぐ捨てられる程度の無価値な人間だったのだ!

 

考えれば考えるほど、

気が狂いそうになった。 

途端に、動悸が波打ち、

呼吸が荒くなった。

声を出して泣きながら、呼吸困難になった。

完全にパニックを起こしたのだ。

そのまま、嗚咽しながら我慢した。

父にばれないようにしなくては、

そればかり考えた。心配をかけてしまう。

 

父が遠くで掃除機をかけている音がした。

幸い気付かれないだろう。

そう思っているうちにも、嗚咽は止まらず、

呼吸は乱れて酷くなる一方だった。

次第に貧血を起こして、手足が痺れて

冷たくなってきた。

 

やばいな、そう思った。

どうしよう。

父を呼ぼうか。苦しい。

助けて。でも…

 

父が掃除機を片付ける音がする頃には

私は床に倒れこみ、

動けなくなってしまっていた。

体全体が硬直してしまい、動かない。

指先は完全に固まってしまった。

気道も狭まってきた。苦しい。

 

なんとかドアに手を伸ばした。

倒れたままか細い声で、父を呼んだ。

「お父さん…。やばい」

 

父は驚いて「どうした?」と聞いてきた。

「発作が…」倒れたまま、

それ以上何も言えなかった。

本当に苦しくて、このまま死ぬのかと思った。

 

父は、「大丈夫か?」「どうした?」と

いつもと違う私にうろたえて、

背中をさすってくれた。

しばらくすると、母も帰ってきた。

 

「なに、どうしたの?!」

母はすぐに異常を察した。

「発作を起こしたみたいだって」

 

母はすぐに水を持ってきてくれたが、

私は涎を垂らしたまま身体が硬直してしまい、

倒れて縮こまったまま少しも動けず、

飲める状態ではなかった。

 

救急車を呼ぼうかと聞かれたが、

喉がどんどん塞がっていく感覚で、苦しく

到着するまで持たないだろうとさえ思った。

 

ビニール袋を口に当て、

落ち着いて呼吸していたら、

本当に少しずつ、手足の痺れがとれてきて、

冷たかった手先も動き始めた。

 

母はホッとしていた。

「よかった、少し動いてきたね」

涙声だった。

 

そのまま、私は自分が

涎と鼻水を垂らし倒れたまま

両親に心配そうに見守られている姿が、

あまりにも惨めで、情けなく

両親に申し訳なさすぎて、

いろんな堪えていたことが

いっぺんにこみ上げて、悲しくて

両親の前で、わんわん泣いてしまった。

 

両親の前でこんなにも大声で泣いたのは、

大好きな人が突然死んでしまった

7年前のあの日以来だった。

 

泣きながら「ここから出たい」と言った。

こんな生活から抜け出したいという意味だ。

汚過ぎる部屋で、どうにもならず

わあわあ泣いた。

 

ここ何年も、どう頑張っても

片付けが出来ないのだ。

あんなに几帳面で潔癖過ぎる自分が

ある時を境に一切、

片付けできなくなってしまった。

部屋は散らかる一方だった。

 

どんなに散らかってきていても、

無気力で、片付ける意欲が湧かないのだ。

とてもおっくうで、

洗濯物をタンスにしまうことすらできず、

その辺に山積みにしていく始末。

 

昔の自分なら考えられないのだ。

タンスの中の物がキチンと同じ方法で畳まれて

綺麗に並んでないと嫌だったはずなのに。

 

思えば、それが崩れ始めた頃から

すでに精神が少しずつ蝕まれ始めていたのだ。

 

どこにしまうべきか、

いるものかいらないものなのか、

判断も出来なくなってしまっていた。

考えようとすると、頭が傷む。

ぼーっとする。

 

部屋はみるみるうちに散らかった。

しかしそれすら、どうでもよかった。

 

そんな状態の私が、

彼氏との同棲ですぐに引っ越せるはずがない。

 

彼は、簡単なはずの引越し準備が

なぜそんなに進まないのか、

怪訝に思っていた。

私が本当は同棲に気乗りしていないのでは?

ついには、そんな疑念まで持ち始めた。

一緒に住むはずだった、

一緒に選んだふたりの部屋に、

半年間も彼を一人ぼっちにした。

私たちの関係は、いつの間にかギクシャクしてしまった。

 

私の、「片付けなくては」

「引越し準備をしなくては」と、

実際の精神状態は、

著しく乖離していた。

片付けなんて出来る精神状態ではなかった。

 

しかし、誰よりも自分自身が

そんな自分を「怠けものだ」と責めていたのだ。

心のどこかで。

自分が一番、自分の病気に対して

理解が足りていなかったのだと思う。

倒れるまで気付かなかった。

倒れるまで我慢して、やっと気付いたのだった。

 

倒れた後は、妙に冷静だった。

心に覚悟が決まったのだ。

「ここから、這い上がるしかない。」と。

もう今の状況には耐えられない、限界が来た。

這い上がるしかない。

 

私は、自分を冷静にするために、

まずは目に入るものをどんどんと

違う部屋に運んで、見えないようにした。

少しでも部屋をスッキリさせるため。

そうして自分を少しでも落ち着かせるため。

 

すると、効果はてきめんだった。

部屋が少し片付くのと同時に、

自分の心も少し落ち着いたのがわかった。

 

そして、壊れたチェストを処分することにした。

新しいチェストをじっくり選んだ。

中古だが木製の、温かみのあるチェストだ。

新しいチェストはすぐに届いた。

部屋に新しい風が入り込んだ時、

途端に空気が変わった。

私は少し、先へ進めた気がしたのだ。

 

新しいチェストに、新しい置物も置いた。

可愛くて少しとぼけていて、

とっても癒される、鳥の置物。

 

気分が沈む日には、ラベンダーオイルを

ティッシュにふくませて

枕元に置いた。

精神を落ち着かせるのに、

植物の香りはとても効果的だ。

 

そうして、毎日毎日、

ともすれば焦る自分を励ましながら、

「大丈夫、今日も少しだけ進んだ」

「大丈夫、大丈夫。」

そう言い聞かせながら、過ごした。

 

まるでナメクジの歩みである。

進んでいることがわからないくらい遅く、

目に見える成果も少ないため、

ストレスも溜まった。

 

そんな時も、

「昨日より今日は、少しだけ進んだ。」

「少しだけ、よくなっている。」

そう何度も励ましながら、過ごした。

新しい家具をいろいろ探しながら、

未来へ希望を持つ習慣をつけた。

 

部屋は少しずつ、変わってきた。

 

私が今向き合っているのは、

過去の自分である。

 

私に今必要なのは、

過去を断ち切って、

今を大切に生きることである。